ここでは、株式会社出雲生姜屋の代表取締役である僕の今までとこれからの夢を皆さんにご紹介したいと思います。
平成26年7月、32歳の時に(株)出雲生姜屋を立ち上げました。それまで島根県内で公務員として働いていたので、よく「安定を捨てて、なぜ農業?」と聞かれるのですが、実はこれは私の夢の第一歩なのです。私は大学を卒業してから民間企業の営業マンとして日々忙しく仕事をこなしていました。そんな中、祖父が亡くなります。
祖父の死をきっかけに「このまま漠然と生きていていいのだろうか。もっと世の中の役に立つ生き方をしないと、自分が満足できない」と思うようになり、25歳の時会社を辞めて自分をリセットする旅に出ました。バックパッカーになり、アジアやヨーロッパを回る中、旅先で目的を持って輝いて生きている人たちに出会い「生きる意味」について自問するようになりました。それから自分なりに生き方を模索する日々が始まります。
旅から帰ってきて「社会の役に立つ仕事がしたい」と思い、友人と 「本当に身体に良い安心安全な野菜ジュースを作って販売しよう!」と事業を立ち上げる準備を始めました。
野菜の生産者探しで全国を回っている時、高知県の農家の方との出会いが、人生の分岐点となります。その方は専業農家の女性(60代)で、とても一生懸命に野菜や花を育てておられたのですが「もっともっと農業を頑張りたいけど、私は子供に継いでもらえんかったき、未来に対してこれ以上投資ができんがよ。それにいろいろチャレンジしたくても、年齢的に行政から支援は受けられない。だから細々とやるしかない・・・」と悲しそうに呟きました。私は「こんなに頑張っている農家さんがうまくいかないのはなぜだろう?」と考えていく中で、日本の農業の仕組みに危機感を感じるようになりました。このままでは、自分たちがジュースを販売する前に、野菜を供給してくれる小規模農家(専業)がいなくなる。「誰かが動かないといけない!」と。歴史を振り返ると、いつの時代も日本を変革してきたのは地方出身の人間です。
これから先、地方に住みたいと考える若者や子供たちのためにも、日本の農業を立て直したい!と強く思いました。野菜ジュースのプロジェクトは実現しませんでしたが、この経験を通じて大きな夢ができました。
日本の農業を立て直すために、自分がどのような立ち位置から取り組めばいいのか、すぐに答えは出ませんでした。そこでまず、社会の色々な政策を考えている公務員になり、公務員がどのような流れで動き、どのように政策を考えているのか、行政の中に入って学んでから将来の立ち位置を決めることにしました。公務員をしながら、休日を利用して政治を勉強したり、企業の経営者と出会ってのもごとの考え方を学ぶことができました。そして「今の日本で求められているもの」が、なんとなくわかり始めたのです。
政治や行政も大切だけれども、地方で雇用を作れる「社会起業家」が地方にはもっと必要だと思いました。行政や政治家がいくら頑張って「支援」制度を作っても、それを活用する「プレイヤー」がいなければ、支援なんてなんの役にも立ちません。地方にはプレイヤーがあまりに少なすぎます。子供が親の背中を見て育つように、まず自分がプレイヤーになることで、人々にやって見せることを通じて新しい農業の仕組みを作っていきたいと決意し、新規就農。(株)出雲生姜屋の設立に至りました。
地方において「農業」は、生活手段の一つであるはずです。しかし、現状は農業(専業)で食べて行くことは厳しく、担い手も減少しています。そこで私は「若者が農業で自立できる仕組み」を創れば、新規就農者が増え、地域が元気になるのではないか?と考えました。農業が元気になり、地域に若者が増えれば、50年後100年後に、真の意味でグローバルに世界の国々と競争していける人が育ち、強い日本を創ることに繋がると思ったのです。そして、そのために、まず自分がモデルケースになり、若い人たちを巻き込み、将来的には子どもたちにも背中を見せていければと思っています。
「農業を通じて地域に貢献したい」そして「出雲生姜をたくさんの人々に食べて頂き、健康になってもらいたい」という思いで、日々生姜と向き合っています。
生姜は身体を温める作用があり「冷え」に悩む現代人に必要とされている食材です。体温を上げ、免疫力をアップし、薬に頼らなくても健康に暮らせる人が増えてくれれば嬉しいです。